北陸新幹線の開業にあわせて、フードアーティスト諏訪綾子のゲリラレストランが二日間だけ開催されるされると聞き、パリから金沢に向かった。
ゲリラレストランの話は以前から聞いていた。レストランではない場所で期間限定で開催され、インビテーションを受け取った人だけ参加できる。まるで蜃気楼のように現れるこのレストランでは、彼女の「感情のテイスト」が振る舞われる。
食とはなにか?
人は生きるために食べる。食の一次的な欲求は生きるための行為だ。そして、二次的な欲求はおいしく食べたいというもの。これを満たす為に人は美食の世界を作り出した。ミシュランなどに代表される格付けは、美食を生み出すシェフのクリエイションを評価している。しかし、彼女の「感情のテイスト」とはこのどちらでもない。
生きるためでも、美食のためでもない「感情のテイスト」は、「一瞬にしてわき起こる怒りのテイスト」、「苛立ちと悔しさが入り交じるテイスト」など、食材がなにか解らず味は見た目から想像できない。参加者は同じタイミングで、手づかみで一口で食べる。「料理を食べることでこれらの感情が起こるのか」と諏訪に聞くとそうではないという。なるほど。ゲリラレストランは、彼女は主観的な感情を料理で「見立て」ているのだ。これは香道の組香と同じ構造だ。
組香では、香元が和歌の言葉にあわせて香りを見立てる。参加者は、どの言葉がどの香で見立てたのかを当てていく。しかし、この香元が選ぶ時になにか明確なルールはなく、あるとき和歌の「秋風」という言葉に「伽羅」という香を選んだとしても、別の機会では「真那賀」という香を選ぶ可能性がある。香元は参加者や時期に合わせてその場で、主観的に選んでいる。組香では最後に答え合わせがあるのだが、当たったか当たってないかは重要ではないという。つまり組香の本質は、答えが当たるという客観的なものではなく、香を通じて香元の主観とシンクロしていく感覚をその場で共有することだ。主客が入り交じり、香りを通して感覚を研ぎすませ、間主観的に共体験をするのだ。
諏訪のゲリラレストランはこれと同じことを料理でしている。見立てるものは諏訪の感情。感情と料理の間には、明確な理由はない。しかし、そこには諏訪の主観的な見立てがあり、ゲリラレストランの参加者は味覚を通して彼女の感情とシンクロする。
美食を超えた食の体験。インビテーションが届いたらまたぜひ行きたい。
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